創作物を「消費する」という言葉の意味が最近わかってきました。
電子書籍をワンクリックで買って、読んで、楽しかったと思って、おしまい。
もしくは買って数ページだけ読んで、もう忘れてしまう。
楽しいのは読んでいる間だけで、その後はもう思い出さないし、生活に影響を与えることもない。
これはまさしく消費だなと思います。
それはそれで楽しいから良いのですが、何か物足りない気持ちもあります。
物語を丸呑みして、消化もせずにそのまま出して、それに何の意味があるんだという思いです。
意味なんかなくても楽しければいいだろうというのも、確かにそうなんですけど……
今一瞬だけではなくて、未来永劫において救いが欲しい。
救いという言い方はあまりにもチープというか、意味が広すぎて適切でないかもしれません。
もっと踏み込んで言えば、新しい場所を見せて欲しい。
あわよくば連れて行って欲しい。
という思いが昔からあります。(踏み込んで言えてる?)
ナーヴ・カッツェの音楽は遠い場所へ運んでくれます。
それは他のどんな創作物や体験によっても辿り着けない場所です。
だからナーヴ・カッツェが好きだし、消費せずにすみます。
これ以上消費することに意味はないんじゃないかと思います。
「消費する」という感覚もわかったことだし、これからは自分で新しい場所へ歩いていかなければなりません。
他人の創作物も自分できちんと消化して、表現しないといけない。
ナーヴ・カッツェのように勝手に望みの場所へ連れて行ってくれる創作なんてきっとすごく稀なのです。
今は面白い物語が書きたいです。
物語さえ書ければあとは割と無敵だと思います。
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