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昔の63

新しい世界




目を開いた、つもりでした。
なのに、どうしてか目が開きません。
いちごは病気になってしまったのかと思いました。
怖くなって手足をばたばたさせると、左手に何か柔らかいものが当たりました。
「ひゃっ!」
「うわっ!」
いちごが声をあげるのと同時に、その何か柔らかいものも叫びました。
びっくりしましたが、その声には聞き覚えがありました。
「あっ……もしかして、千恵梨ちゃん?」
「その声は、いちごちゃん?」
「そう!」
「ああ、良かったー。一人じゃなかったんだ―。」
隣にいたのは、千恵梨ちゃんでした。
いちごは少し安心しましたが、まだまだ不安でした。
「千恵梨ちゃん、いちごね、目が開かなくなっちゃったの。」
「違うよいちごちゃん。あのね、ここ真っ暗なんだよ。
 だから私も最初は目が開いてないように思っちゃったんだけど、
 まぶたを触ったらちゃんと開いてるんだよ。」
言われて、いちごもまぶたを触ってみました。
目を開け閉めすると、確かにまぶたは動いていました。
でも、なんだか目を潰してしまいそうで怖かったので、すぐに手を戻しました。
「ほんとだ。でも、もしかしたら、目が見えなくなっちゃったんじゃない?」
いちごはまだ不安でした。
でも、千恵梨ちゃんは明るい声で言いました。
「ううん。だってほら、ちょっといちごちゃん、私の方に手を出してみて。」
いちごは言われたとおりに左手を伸ばしました。
「ええっと……うん……あ、あった。」
千恵梨ちゃんの手が、いちごの手を握りました。
と思うと、いちごの手はぐいと後ろに引っ張られました。
「あ、いたっ!」
「あっ、ご、ごめん!だいじょうぶ!?」
本当に心配そうな千恵梨ちゃんの声が聞こえてきました。
「う、うん、平気だよ」
「ごめんね。」
「うん、気にしないで。それで、何?」
「あ、うん、ほらこっち見てみて。」
いちごは腕を引かれた方向を振り返りました。


「とんでもない偶然ってのが、世の中にはあるんだよね。」
リビングで私と一緒にコーヒーを飲んでいたアスカが、急に話しだした。
「たとえば?」
私は聞いて、カップをテーブルに置いた。
「おととい、ちょっと機械をいじってて、夜更かししたんだよね。
 それで、もうそろそろ寝ようかと思って時計を見たら、ちょうど4:44だったの。」
「アスカってそういうの気にするんだ。」
私はちょっと意外だった。
「いや、それだけならまあよくあることなんだけどさ、昨日も夜更かししたんだよね。
 それで寝ようと思って時計を見たら、また4:44だったんだよ。」
「ああ……さすがにそれはちょっと不気味かも。」
「でしょ?」
「でもさ、体内時計は24時間周期なんだから、まあ同じ時間に眠くなるのは、
 当然と言えば当然だよ。」
「そうなんだよね。偶然ではあるんだけど、中には必然が混じってたりするわけだ。
 で、そういうことって、意外と多いと思うんだよね。」
「うん……?」
アスカが何を言いたいのかが分からない。
ただ、これまでの経験からして、ここまではおそらくただの前置きなんだと思う。
アスカはよくこういう回りくどい話し方をする。
「ねえ、私がこれまで生きてきて体験した、一番の偶然って何だと思う?」
ティースプーンをゆらゆら揺らしながら、アスカが聞いてきた。
「そんなの知るわけないでしょ。」
私はカップを持ち、一口すすった。
「それはね、私が人間だってことだよ。」
「え?」
また妙なことを言い出すつもりだ。たぶんここからが本題なのだろう。
私は再びカップを置いた。
「どういうこと?」
「いま地球上には、だいたい1000万種くらいの生物が存在するって言われてるの。
 っていうことは、ものすごくおおざっぱに言うと、私が人間に産まれる可能性は
 1000万分の1ってことになるよね。
 もちろん個体数が全然違うから、こんなの当てになんないんだけどね。
 例えばアメーバなんて、林の土1gに4万匹もいたなんて言うし。
 まあ凄く低い確率って言うのは間違いないよ。」
「はあ、でもそれ偶然て言うのかな?
 ただ人間に産まれただけじゃない?」
「うーんとね、私が言いたいのはつまり、あまりにもうまくいきすぎてるんじゃないか、
 ってことなんだよね。
 だって人間って、どうみても地球上で一番栄えてる生き物じゃん?」
「それは人間だからそう思うのかもよ。
 ネコだって自分たちがこの世界の支配者だと思ってるかも。」
「うーん、そう言われちゃうと弱いな。
 でもこんなに地球の環境を変えてる生き物って他にいないと思うんだよ。
 山崩して、家立てて、川作って、森焼いて……
 これが人間の錯覚なんだとしたら、もう何も信じられなくなるよね。
 ていうわけで、その可能性については考えないってことで。」
「強引だなぁ。」
「で、たまたまそういう凄く低い確率で、地球上のトップに立つ人間に産まれて、
 しかも比較的恵まれた国で育って、こうやって楽しく生きてるっていうのは、
 やっぱりどう考えても出来過ぎてると思うんだよね。」
「ふーん……」
スプーンを振り回しながら力説するアスカを、私は横目で見ていた。
理屈は分かる。確かにすごい偶然だと思う。
でもどうも感覚的にピンとこない。
自分が人間であることなんて、当り前じゃないか。
「私にはちょっと分かんないなぁ……」
「あ、ごめん。いきなりこんなこと言っても納得できないよね。
 私はずっと前からこのことを考えてたんだ。
 でも、なかなか答えが出ないから、黙ってたの。」
「答え?何の?」
「これは本当にただの偶然なのか、それともそうじゃないのか。
 その答えが、昨日、やっと出たんだ。」


か弱くて、小さくて、かすかで、でも確かな光が、そこにありました。
四角い形をしているので、窓のようなところから漏れ出てきているのかもしれません。
「ね?光が見えるでしょ?」
「うん!」
いちごはようやく安心しました。
相変わらず千恵梨ちゃんの姿は見えませんが、左手の温もりが、彼女の存在を
はっきりと伝えてくれていました。
もうこの世界に怖いものは無いと思ったのです。
「さて、行こうか、いちごちゃん。」
腕が上に引っ張られるのを感じました。
千恵梨ちゃんが立ちあがったのでしょう。
「行くってどこへ?」
いちごも立ち上がりました。
「あの光の方だよ。何があるのか、見に行こうよ。」
「そうだね。」
なんだか楽しい気持ちが体の奥から膨らんでくるようでした。
いちごは、その大きな気持ちに胸を押し潰されないよう、ゆっくりと深呼吸をして、
そして、闇の中へ最初の一歩を踏み出しました。
『さあ、出発だ!』

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