その季節を知っている
揺り起こされて目を覚ます。
ずっと見ていた夢の記憶はもう消えてしまった。
ここは学校の中。
窓際の私の席だ。
友達が私の顔を覗いている。
「もうホームルーム終わっちゃったよー。
美子ったら掃除の時間まで寝てるんだもん、机運ぶの大変だったよー。」
「あ・・・ごめん 今日寝てなくって」
「ん?どうしたの?朝帰り?」
「そんなんじゃないって・・・もう」
私は力なく笑う。
友達は本気で心配してる風ではない。
「そう?じゃ本でも読んでたの?」
「うん、まあそんなとこ」
本当は全然違うけど、いちいち修正する気力はなかった。
友達は相変わらず軽い調子で答える。
「そっか、じゃあ睡眠もとれたことだし、帰ろっか。」
「うん、帰ろう。」
私は鞄を持ち上げる。
中身は今日一度も取り出していない。
何のために持ってきたのか分からない。
「駅前に美味しいたこ焼き屋さんができたんだって。一緒に行こー」
「いいよ。」
そういえば、お昼も食べてない。
でもお腹はあんまり空いてない。
校舎から出てきた私たちを冷たい風が出迎える。
グラウンドの砂が舞っているのが遠くからでも分かる。
「うわっ、寒いねー。もう秋も終わりかぁ」
「うん。・・・でもまだ秋だね。」
「そうなの?なんで?」
「まだ秋の匂いがする」
枯れかけたイチョウの葉を踏みながら私たちは歩く。
秋の終わりを噛みしめるように。
「ああ、わたしも思い出したよ。わたしも昔は匂いを知ってた。
わたしは夏の夜の匂いが好きだったんだ。
でももう長い間忘れてたみたいだよ」
「うん。」
並木道を抜け、地面は無機質なコンクリートになった。
マンションと騒音に囲まれたこの場所では、
四季の変化も気温の変化ぐらいにしか感じられないだろう。
きっとそれでいいのだ。
そんな余計なことに煩わせられたくないから、人は土を埋めたのだろう。
「いい匂いがする」
「あっ、たこ焼き屋さんもうすぐだよー。あの角を曲がってすぐ」
「えっ・・・そこって古本屋じゃなかった?」
「潰れたんだよー。あんな古臭い店、今まで潰れてなかったのが不思議だよ」
かつて古本屋があった場所には、真新しい一軒家が建っていた。
一階が店で、家族は二階に住んでいるのだろう。
確か前の古本屋もそうだったはずだ。
でも家は明らかに建て直されたようだし、主人も前の人とは違う。
前の家族はどこへ行ってしまったのだろう。
店が潰れて、今はどうやって生活しているのだろう。
店が潰れるということがどういうことなのか世間に疎い私には分からなかったが、
とにかく大変なことであろうとは想像できた。
たこ焼きを買いに行っていた友達が帰ってくる。
「もう、美子ったらまたぼーっとして!まだ眠いの?」
「ううん・・・なんでもない」
「そう。はい、美子の分。」
「ありがと」
こういう時、友達はいつも奢ってくれる。
私が奢ったことは殆ど無いのに、どうしてそれを咎めないのかは分からない。
「おーっ、おいしい!これは当たりだね!」
「うん。」
「表面の焦げ具合と中のトロトロ加減が絶妙だよね!
味付けもしっかりしていながらくどくないし」
「グラタンみたいで美味しい」
「ええ!?グラタンなんかよりよっぽど美味しいじゃん!」
「グラタンより美味しい物なんか無い」
「なんだとー!」
しばらく睨み合っていた私たちだったが、次第に馬鹿らしくなってきて、
どちらからともなく笑い出す。
「まあこのたこ焼きが美味しいのには違いないよ」
「そうだね」
風に頬を打たれて、私はふと我に返る。
少しの間、私が何処かへ消え去っていたことに気付く。
こんなことではいけない。
私は気を引き締め直す。
川のそばの堤防を歩く。
夕陽は真横から照りつけてきて、影は水面上にまで伸びる。
向こう岸には小さな家々が寂しげに光っている。
見慣れた景色がここにはない。
「じゃ、また明日ね―。」
「うん、バイバイ。」
「ばいばーい」
友達は橋を渡って家へ帰っていった。
私はまだ堤防の上を進む。
風は絶えず身体を打つ。
右半身には常に斜陽が差し、体は半分だけ暖かい。
左からは川の音がして、そのせいもあってか左半身は余計に寒い。
体が2つにわかれたようだ。
私はもう何も考えずに歩く。
山の上から微かに陽の端が輝く。
山の影はどんどん伸びてきて、森を飲み込み、畑を飲み込み、そして
私のこともお構いなしに飲み込んでいく。
川も橋も家も何もかも呑み込まれていく。
あれが夜の最前線だ。
「潮が満ちていくみたいだよね」
向こう岸を眺めていた背後から声がして、私は驚いて振り返った。
「私達はもう海の中に沈んじゃったんだよ ほら、もう手足がこんなに重い」
ふらふらと体を揺らすクラスメート。
暗くてその姿はぼんやりとしか見えない。
私はなんと言ったらいいのか分からなかったので何も言わなかった。
そんな私を見てクラスメートは嬉しそうに笑う。
「あなたとわたしは似てるって思ってたんだ
やっぱりそうだ あなたはわたしに一番似てる」
「どの中で一番?」
「いままで会ってきた人の中で」
「私はそうは思わない」
この子は誰だったか、どんな子だったか思い出せない。
夕陽はもうすっかり沈み切って、空気は本格的に夜だ。
どこか見えないところから草の揺れる音がする。
クラスメートは笑っている。
「いいえ、あなたはこっちの世界の人間
そしてこっちの世界の人間であることを隠そうともしない人間
隠す必要性を感じられない人間」
私は答えられない。
何か禍々しいものに魅入られたかのように身動き一つ出来ない。
一際強い風が正面から吹いてきて、クラスメートの長い髪が私を襲う。
「うわっ!」
私は思わず目を閉じた。
そして慌てて目を開ける。
早く目を開けないと、次に目を開けた時、
景色が何処か知らない場所に変わっているような気がしたからだ。
しかしそんなことはなく、目の前には相変わらず奇妙なクラスメートが立っていた。
「あ、ごめんごめん
髪なんかどうでもいいと思ってたけど、やっぱ切らないとそれはそれで邪魔だよね
爪も切らなきゃいけないし、人間の体って面倒だよね」
金縛りが解けたように体から力が抜けていくのが分かる。
視界もはっきりしてきて、景色は少し暗いだけのいつもの帰り道だ。
「そうだね。ご飯も食べなきゃいけないし。」
「そうそう、ほんと神様ももうちょっとうまく作って欲しいよね」
「神様なんていないでしょ」
「いるよ、私にとっては美子ちゃんが神様だからね」
「なに言ってんの」
全く支離滅裂な子だ。
私と似ているわけがない。
「ねえねえ 今日家行っていい?」
「え、今から?」
「うんうん」
「駄目だよ。そんな仲でもないし」
「じゃあ仲良くなったら泊まっていいんだね」
「いやそういう意味じゃ・・・」
「それじゃあまた話そうね さよなら」
言いたいことだけ言ってクラスメートはさっさと帰っていった。
一呼吸置いて、私も彼女に背を向けて歩き始める。
見上げれば星はもう幾つも出ている。
草の音は一層強くなっていた。
揺り起こされて目を覚ます。
ずっと見ていた夢の記憶はもう消えてしまった。
ここは学校の中。
窓際の私の席だ。
友達が私の顔を覗いている。
「もうホームルーム終わっちゃったよー。
美子ったら掃除の時間まで寝てるんだもん、机運ぶの大変だったよー。」
「あ・・・ごめん 今日寝てなくって」
「ん?どうしたの?朝帰り?」
「そんなんじゃないって・・・もう」
私は力なく笑う。
友達は本気で心配してる風ではない。
「そう?じゃ本でも読んでたの?」
「うん、まあそんなとこ」
本当は全然違うけど、いちいち修正する気力はなかった。
友達は相変わらず軽い調子で答える。
「そっか、じゃあ睡眠もとれたことだし、帰ろっか。」
「うん、帰ろう。」
私は鞄を持ち上げる。
中身は今日一度も取り出していない。
何のために持ってきたのか分からない。
「駅前に美味しいたこ焼き屋さんができたんだって。一緒に行こー」
「いいよ。」
そういえば、お昼も食べてない。
でもお腹はあんまり空いてない。
校舎から出てきた私たちを冷たい風が出迎える。
グラウンドの砂が舞っているのが遠くからでも分かる。
「うわっ、寒いねー。もう秋も終わりかぁ」
「うん。・・・でもまだ秋だね。」
「そうなの?なんで?」
「まだ秋の匂いがする」
枯れかけたイチョウの葉を踏みながら私たちは歩く。
秋の終わりを噛みしめるように。
「ああ、わたしも思い出したよ。わたしも昔は匂いを知ってた。
わたしは夏の夜の匂いが好きだったんだ。
でももう長い間忘れてたみたいだよ」
「うん。」
並木道を抜け、地面は無機質なコンクリートになった。
マンションと騒音に囲まれたこの場所では、
四季の変化も気温の変化ぐらいにしか感じられないだろう。
きっとそれでいいのだ。
そんな余計なことに煩わせられたくないから、人は土を埋めたのだろう。
「いい匂いがする」
「あっ、たこ焼き屋さんもうすぐだよー。あの角を曲がってすぐ」
「えっ・・・そこって古本屋じゃなかった?」
「潰れたんだよー。あんな古臭い店、今まで潰れてなかったのが不思議だよ」
かつて古本屋があった場所には、真新しい一軒家が建っていた。
一階が店で、家族は二階に住んでいるのだろう。
確か前の古本屋もそうだったはずだ。
でも家は明らかに建て直されたようだし、主人も前の人とは違う。
前の家族はどこへ行ってしまったのだろう。
店が潰れて、今はどうやって生活しているのだろう。
店が潰れるということがどういうことなのか世間に疎い私には分からなかったが、
とにかく大変なことであろうとは想像できた。
たこ焼きを買いに行っていた友達が帰ってくる。
「もう、美子ったらまたぼーっとして!まだ眠いの?」
「ううん・・・なんでもない」
「そう。はい、美子の分。」
「ありがと」
こういう時、友達はいつも奢ってくれる。
私が奢ったことは殆ど無いのに、どうしてそれを咎めないのかは分からない。
「おーっ、おいしい!これは当たりだね!」
「うん。」
「表面の焦げ具合と中のトロトロ加減が絶妙だよね!
味付けもしっかりしていながらくどくないし」
「グラタンみたいで美味しい」
「ええ!?グラタンなんかよりよっぽど美味しいじゃん!」
「グラタンより美味しい物なんか無い」
「なんだとー!」
しばらく睨み合っていた私たちだったが、次第に馬鹿らしくなってきて、
どちらからともなく笑い出す。
「まあこのたこ焼きが美味しいのには違いないよ」
「そうだね」
風に頬を打たれて、私はふと我に返る。
少しの間、私が何処かへ消え去っていたことに気付く。
こんなことではいけない。
私は気を引き締め直す。
川のそばの堤防を歩く。
夕陽は真横から照りつけてきて、影は水面上にまで伸びる。
向こう岸には小さな家々が寂しげに光っている。
見慣れた景色がここにはない。
「じゃ、また明日ね―。」
「うん、バイバイ。」
「ばいばーい」
友達は橋を渡って家へ帰っていった。
私はまだ堤防の上を進む。
風は絶えず身体を打つ。
右半身には常に斜陽が差し、体は半分だけ暖かい。
左からは川の音がして、そのせいもあってか左半身は余計に寒い。
体が2つにわかれたようだ。
私はもう何も考えずに歩く。
山の上から微かに陽の端が輝く。
山の影はどんどん伸びてきて、森を飲み込み、畑を飲み込み、そして
私のこともお構いなしに飲み込んでいく。
川も橋も家も何もかも呑み込まれていく。
あれが夜の最前線だ。
「潮が満ちていくみたいだよね」
向こう岸を眺めていた背後から声がして、私は驚いて振り返った。
「私達はもう海の中に沈んじゃったんだよ ほら、もう手足がこんなに重い」
ふらふらと体を揺らすクラスメート。
暗くてその姿はぼんやりとしか見えない。
私はなんと言ったらいいのか分からなかったので何も言わなかった。
そんな私を見てクラスメートは嬉しそうに笑う。
「あなたとわたしは似てるって思ってたんだ
やっぱりそうだ あなたはわたしに一番似てる」
「どの中で一番?」
「いままで会ってきた人の中で」
「私はそうは思わない」
この子は誰だったか、どんな子だったか思い出せない。
夕陽はもうすっかり沈み切って、空気は本格的に夜だ。
どこか見えないところから草の揺れる音がする。
クラスメートは笑っている。
「いいえ、あなたはこっちの世界の人間
そしてこっちの世界の人間であることを隠そうともしない人間
隠す必要性を感じられない人間」
私は答えられない。
何か禍々しいものに魅入られたかのように身動き一つ出来ない。
一際強い風が正面から吹いてきて、クラスメートの長い髪が私を襲う。
「うわっ!」
私は思わず目を閉じた。
そして慌てて目を開ける。
早く目を開けないと、次に目を開けた時、
景色が何処か知らない場所に変わっているような気がしたからだ。
しかしそんなことはなく、目の前には相変わらず奇妙なクラスメートが立っていた。
「あ、ごめんごめん
髪なんかどうでもいいと思ってたけど、やっぱ切らないとそれはそれで邪魔だよね
爪も切らなきゃいけないし、人間の体って面倒だよね」
金縛りが解けたように体から力が抜けていくのが分かる。
視界もはっきりしてきて、景色は少し暗いだけのいつもの帰り道だ。
「そうだね。ご飯も食べなきゃいけないし。」
「そうそう、ほんと神様ももうちょっとうまく作って欲しいよね」
「神様なんていないでしょ」
「いるよ、私にとっては美子ちゃんが神様だからね」
「なに言ってんの」
全く支離滅裂な子だ。
私と似ているわけがない。
「ねえねえ 今日家行っていい?」
「え、今から?」
「うんうん」
「駄目だよ。そんな仲でもないし」
「じゃあ仲良くなったら泊まっていいんだね」
「いやそういう意味じゃ・・・」
「それじゃあまた話そうね さよなら」
言いたいことだけ言ってクラスメートはさっさと帰っていった。
一呼吸置いて、私も彼女に背を向けて歩き始める。
見上げれば星はもう幾つも出ている。
草の音は一層強くなっていた。
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