スキップしてメイン コンテンツに移動

昔の37

旅に出る




おっきな鞄を持ち上げ、私は気合を入れた。
これから長い旅になるだろう。
目指すはこの島の果て、トノア山のてっぺんだ。
そこに私の探しているものが、きっとある。
いや、必ずある。
赤いバンダナを頭からはずし、庭の柿の木にくくりつけた。
家の持ち主はもう帰ってこないというしるしだ。
この家はまだ綺麗だから、すぐに新しい宿主ができるだろう。
短い間ながら、共に過ごした家族に別れを告げる。
風にたなびくバンダナは、まるで私の旅立ちを見送ってくれているかのようだった。


道を歩いていると、見知らぬおじさんが立っていた。
怪しげなおじさんだ。
おじさんは急に話し始めた。

目的地の決まっている旅というのは楽なものだ。
ただそこへ向かっていくだけでいい。
それだけでなにかやっているという気分になれる。
でも、本当はなにもやっていないのだ。
目的地の決まっていない旅というのは楽しいものだ。
いつでも好きなところへ歩いてゆける。
何をやれるかは分からないが、やろうと思えばなにかをやれる。
でも、それは苦しい旅だ。

私は無視して先へ進んだ。
しばらく進んで振り返ると、おじさんはニッコリ笑っていた。
雲が彼の姿をさらっていった。


小さな雑木林を抜けたところに、女の子が立っていた。
ビー玉のような瞳をいっぱいに開いて、こっちをじっと見ている。
女の子は歌うように話し始めた。

さよならさよならうさぎさん
あなたのこきょうへかえりなさい
このさききけんがいっぱいよ
くるしいさかみちばっかりよ
たのしみなんてひとつもない
さあさあはやくおうちへかえって
あったかいふとんでねむりなさい

私はにっこり微笑んで先へ進んだ。
しばらく進んで振り返ると、女の子はまだ歌っていた。
彼女はおじさんと混ざり、消えた。
柔らかな陽ざしをいっぱいに溜めこんだ夏の幻想ははじけ、
大気に溶け込み、拡散し、誰にも見えなくなった。

コメント