光を求めて
「それじゃあ、お母さんは仕事に行ってくるから、おとなしくしててね。」
「はーい。いってらっしゃい。」
「いってきます。」
足音が遠ざかり、玄関のドアが閉まる音がする。
それからドアに鍵をかける音がして、それっきり、家は静かになった。
私はベットの上に座ったまま、しばらくぼんやりとしていたのだけど、
昨日読みかけにした本を隣に置いていたのを思い出して、手を伸ばした。
私は本を抱きかかえ、布団に潜ってそれを読み始めた。
それは小さな少女の旅の物語だった。
幼い頃にはぐれた母親を探して、海や山や砂漠やジャングルや、
とにかくいろいろな場所を、彼女は旅して行くのだった。
わたしは彼女が羨ましかった。
いろんな場所に行って、たくさんの物を見られることが。
大勢の人にあって、楽しい話をいっぱいできることが。
光に満ちた彼女とは対照的に、私の世界はまだ、闇に閉ざされている。
私にはこの家から出ることすら、恐ろしい。
布団に潜り込んだ私は、ただ延々と、虚構の世界を漂っていた。
"光を求めて"
私は本を読むのにも疲れ、布団の中でうずくまってじっとしていた。
何をすることがあるわけでもない。
何かしたいことがあるわけでもない。
でも、こんなふうに何もしないのは、誰かに申し訳ない気がする。
それは誰にだろう?
お母さんにだろうか。
でもお母さんは、おとなしくしててねと言った。
今私は、これ以上ないくらいおとなしくしているのだ。
だったら、お母さんに申し訳ないはずがない。むしろ喜ばれるはずだ。
私にだろうか?
でも、私は何もしたくないのだ。
それは言い換えれば、なにもしないことをしたいということだ。
だったら私は今自分のしたいことをしているわけだから、悪く思うはずがないのだ。
じゃあ誰に申し訳ないんだろう?
私は、お母さんと自分以外の人間をほとんど知らなかった。
玄関のチャイムが鳴った。
私は少し身をこわばらせて、布団の中でじっとしていた。
もう一度チャイムが鳴る。
おとなしくしていよう。そのうちまた、静かになる。
少しの間の辛抱だ。
もうチャイムは鳴らなかった。
わたしはほっとして、布団から少し顔を出した。
外の空気が気持ちいい。
私はこの瞬間のために布団に潜っているのかもしれない。
そのとき、かすかな音が耳に届いた。
私は耳を澄ます。
確かに、小さな小さな金属音が断続的に聞こえてくる。
これは……玄関の方からだ。
なんの音だろう?
私がぼーっと考えていたその時、
玄関のドアが開く音が聞こえた。
これは、泥棒だ。
そう理解した瞬間、背筋が凍りついた。
体が動かない。頭も働かない。
どうしよう。
きっとあの泥棒は、家に誰もいないと思っているのだ。
それもそのはずだ。
世間的には、この家にはお母さんしか住んでいないことになっているのだ。
お母さんが出かけて、しばらくしても帰ってこないのを確認して、入ってきたのだろう。
どうしよう。
見つかったら殺されてしまうんだろうか。
逃げることもできない。この部屋には窓がない。
いや、窓があったとしても、外へなんて逃げられないだろう。
どうすることもできない。
仕方ない。痛くない殺し方をしてもらえるよう、頼んでみよう。
今泥棒は、応接室を物色している。
ガタガタと、タンスを開けたり机を動かしたりしているのが分かる。
あまり音には頓着しない泥棒のようだ。
応接室はこの部屋の隣の隣だ。
ここまで来るのにそう時間はかからないだろう。
来るなら早く来て欲しいと思う。
このままじゃ私の心臓が持たない。
足音が応接室を出て、お母さんの寝室へ向かった。
ここの隣の部屋だ。
そしてまた、がさがさとなにやら漁る音がする。
何か収穫があったのだろうか、しばらく音がやんだと思うと、足音は寝室から出てきた。
それはまっすぐ私の部屋へ向かってくる。
いよいよだ。
考えていた文句をもう一度頭の中で復唱する。
じっと身構え、息を殺す。
ドアノブを回す音がして、そして、ドアが開いた。
「あのっ、わたしは抵抗する気はありません!
あなたが私を殺すというのなら、私はそれも甘んじて受け入れます!
ただ、痛くない殺し方をしてください!
それだけはお願いします!
どうか、そのっ……」
「あのさー、なんか必死に言ってるみたいだけど……」
「えっ?」
声を聞いて私は驚いた。
これは女の子の声だ。私と同い年くらいの。
「私、音が聞こえないの。ごめんなさい。」
わたしは急いで、ベットの上の台においてある紙とペンを取った。
これは私には必要のないものだけど、絵を書くのは脳の活性化にいいらしいので、
ときどき落書きするのに使っているのだ。
文字は、お母さんが教えてくれたので、ひらがなだけは書ける。
『ていこうはしません ころしたいならそれでもいいです
ただいたくないころしかたしてください』
「え?殺す?なんで?そんなことしないよー」
『ではゆうかいですか』
「誘拐なんかしないって~ だいたいわたしじゃあんたを持ち上げらんないよー」
『じゃあどうするんですか』
「別にどうもしないよ。
あんた、目が見えないんでしょ?」
「……えっ!? なんでわかったの!?」
「ベットの横の点字の本。
ペンと紙を取るときのあんたの仕草。
そして、ずっと閉じてるあんたの目。
これ見て分かんないほうがおかしいでしょ?」
「あれ?今の声聞こえたの?」
「一応読唇術ができるからね。
何を言うか大体予想がつくときは、それで分かるんだ。
最初みたいに突然何か言われると分かんないんだけど。」
「へぇ~。すごいですね。」
っていや、何感心してるんだ私は!
相手は泥棒だぞ、何されるかわかったもんじゃない。
もしかしたら、こうやって油断させる作戦かもしれない。
でも、私を油断させてどうするんだろう?
「だからさ、わたしの顔見えてないわけでしょ?
まあ声は聞かれちゃってるけど、それだけじゃ大した情報でもないしね。
余計な罪は増やしたくないんだ。
人を傷つけるために泥棒やってるんじゃないんだからね。」
「なんですか、それ!
人の物盗んどいて善人ぶるつもりですか!?
私がどれだけ怖かったと思ってるんです!?
私がどれだけの決意を固めたと思ってるんです!!?」
しまった、少し安心したらつい本音が……
「えっと……ごめん。何言ってるか分かんない。
紙に書いてくれる?」
書く程のことでもないのに……
どうしよう。
えっと……
「うーん、まあ言いたくないならいいや。
じゃあわたしはこれで帰るから。
あとは警察に云うなり、日記に書くなり、好きにしてよ。
あ、日記は書かないか。」
「あっ、待って!」
「ん、なに?」
「あの……『おなまえおしえていただけませんか?』
どうしてあんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、なんとなく、彼女なら教えてくれそうな気がしたのだ。
「わたしの名前?みかさだよ。あおいみかさ。あなたは?」
『わたしは まな。 きくい まな。』
「へぇ、まなって言うんだ。
それじゃまなちゃん、また会おうね!バイバイ!」
もう会うことはないと思うけど。
でも、私は黙って手を振った。
そして不思議な事に、私はその後すぐに猛烈に眠たくなり、
お母さんが帰ってくるまでずっと眠ってしまっていた。
もしかしたら催眠ガスのようなものを撒かれたのかもしれない。
そして更に不思議な事には、お母さんは異変に全く気づかなかった。
私はお母さんに通帳や判子やそのほか色々な貴重品が無くなっていないか聞いたのだけど、
どれもみんないつもの場所にあったらしい。
私はお母さんに、彼女――みかさのことを話さなかった。
お母さんに隠しごとをするなんて、これが初めてだった。
その夜はなんだか胸が苦しくて、色々な哀しい事を考えてしまって、眠れなかった。
ただ単に昼に寝過ぎたからなのかもしれない。
「それじゃあ、お母さんは仕事に行ってくるから、おとなしくしててね。」
「はーい。いってらっしゃい。」
「いってきます。」
足音が遠ざかり、玄関のドアが閉まる音がする。
それからドアに鍵をかける音がして、それっきり、家は静かになった。
私はベットの上に座ったまま、しばらくぼんやりとしていたのだけど、
昨日読みかけにした本を隣に置いていたのを思い出して、手を伸ばした。
私は本を抱きかかえ、布団に潜ってそれを読み始めた。
それは小さな少女の旅の物語だった。
幼い頃にはぐれた母親を探して、海や山や砂漠やジャングルや、
とにかくいろいろな場所を、彼女は旅して行くのだった。
わたしは彼女が羨ましかった。
いろんな場所に行って、たくさんの物を見られることが。
大勢の人にあって、楽しい話をいっぱいできることが。
光に満ちた彼女とは対照的に、私の世界はまだ、闇に閉ざされている。
私にはこの家から出ることすら、恐ろしい。
布団に潜り込んだ私は、ただ延々と、虚構の世界を漂っていた。
"光を求めて"
私は本を読むのにも疲れ、布団の中でうずくまってじっとしていた。
何をすることがあるわけでもない。
何かしたいことがあるわけでもない。
でも、こんなふうに何もしないのは、誰かに申し訳ない気がする。
それは誰にだろう?
お母さんにだろうか。
でもお母さんは、おとなしくしててねと言った。
今私は、これ以上ないくらいおとなしくしているのだ。
だったら、お母さんに申し訳ないはずがない。むしろ喜ばれるはずだ。
私にだろうか?
でも、私は何もしたくないのだ。
それは言い換えれば、なにもしないことをしたいということだ。
だったら私は今自分のしたいことをしているわけだから、悪く思うはずがないのだ。
じゃあ誰に申し訳ないんだろう?
私は、お母さんと自分以外の人間をほとんど知らなかった。
玄関のチャイムが鳴った。
私は少し身をこわばらせて、布団の中でじっとしていた。
もう一度チャイムが鳴る。
おとなしくしていよう。そのうちまた、静かになる。
少しの間の辛抱だ。
もうチャイムは鳴らなかった。
わたしはほっとして、布団から少し顔を出した。
外の空気が気持ちいい。
私はこの瞬間のために布団に潜っているのかもしれない。
そのとき、かすかな音が耳に届いた。
私は耳を澄ます。
確かに、小さな小さな金属音が断続的に聞こえてくる。
これは……玄関の方からだ。
なんの音だろう?
私がぼーっと考えていたその時、
玄関のドアが開く音が聞こえた。
これは、泥棒だ。
そう理解した瞬間、背筋が凍りついた。
体が動かない。頭も働かない。
どうしよう。
きっとあの泥棒は、家に誰もいないと思っているのだ。
それもそのはずだ。
世間的には、この家にはお母さんしか住んでいないことになっているのだ。
お母さんが出かけて、しばらくしても帰ってこないのを確認して、入ってきたのだろう。
どうしよう。
見つかったら殺されてしまうんだろうか。
逃げることもできない。この部屋には窓がない。
いや、窓があったとしても、外へなんて逃げられないだろう。
どうすることもできない。
仕方ない。痛くない殺し方をしてもらえるよう、頼んでみよう。
今泥棒は、応接室を物色している。
ガタガタと、タンスを開けたり机を動かしたりしているのが分かる。
あまり音には頓着しない泥棒のようだ。
応接室はこの部屋の隣の隣だ。
ここまで来るのにそう時間はかからないだろう。
来るなら早く来て欲しいと思う。
このままじゃ私の心臓が持たない。
足音が応接室を出て、お母さんの寝室へ向かった。
ここの隣の部屋だ。
そしてまた、がさがさとなにやら漁る音がする。
何か収穫があったのだろうか、しばらく音がやんだと思うと、足音は寝室から出てきた。
それはまっすぐ私の部屋へ向かってくる。
いよいよだ。
考えていた文句をもう一度頭の中で復唱する。
じっと身構え、息を殺す。
ドアノブを回す音がして、そして、ドアが開いた。
「あのっ、わたしは抵抗する気はありません!
あなたが私を殺すというのなら、私はそれも甘んじて受け入れます!
ただ、痛くない殺し方をしてください!
それだけはお願いします!
どうか、そのっ……」
「あのさー、なんか必死に言ってるみたいだけど……」
「えっ?」
声を聞いて私は驚いた。
これは女の子の声だ。私と同い年くらいの。
「私、音が聞こえないの。ごめんなさい。」
わたしは急いで、ベットの上の台においてある紙とペンを取った。
これは私には必要のないものだけど、絵を書くのは脳の活性化にいいらしいので、
ときどき落書きするのに使っているのだ。
文字は、お母さんが教えてくれたので、ひらがなだけは書ける。
『ていこうはしません ころしたいならそれでもいいです
ただいたくないころしかたしてください』
「え?殺す?なんで?そんなことしないよー」
『ではゆうかいですか』
「誘拐なんかしないって~ だいたいわたしじゃあんたを持ち上げらんないよー」
『じゃあどうするんですか』
「別にどうもしないよ。
あんた、目が見えないんでしょ?」
「……えっ!? なんでわかったの!?」
「ベットの横の点字の本。
ペンと紙を取るときのあんたの仕草。
そして、ずっと閉じてるあんたの目。
これ見て分かんないほうがおかしいでしょ?」
「あれ?今の声聞こえたの?」
「一応読唇術ができるからね。
何を言うか大体予想がつくときは、それで分かるんだ。
最初みたいに突然何か言われると分かんないんだけど。」
「へぇ~。すごいですね。」
っていや、何感心してるんだ私は!
相手は泥棒だぞ、何されるかわかったもんじゃない。
もしかしたら、こうやって油断させる作戦かもしれない。
でも、私を油断させてどうするんだろう?
「だからさ、わたしの顔見えてないわけでしょ?
まあ声は聞かれちゃってるけど、それだけじゃ大した情報でもないしね。
余計な罪は増やしたくないんだ。
人を傷つけるために泥棒やってるんじゃないんだからね。」
「なんですか、それ!
人の物盗んどいて善人ぶるつもりですか!?
私がどれだけ怖かったと思ってるんです!?
私がどれだけの決意を固めたと思ってるんです!!?」
しまった、少し安心したらつい本音が……
「えっと……ごめん。何言ってるか分かんない。
紙に書いてくれる?」
書く程のことでもないのに……
どうしよう。
えっと……
「うーん、まあ言いたくないならいいや。
じゃあわたしはこれで帰るから。
あとは警察に云うなり、日記に書くなり、好きにしてよ。
あ、日記は書かないか。」
「あっ、待って!」
「ん、なに?」
「あの……『おなまえおしえていただけませんか?』
どうしてあんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、なんとなく、彼女なら教えてくれそうな気がしたのだ。
「わたしの名前?みかさだよ。あおいみかさ。あなたは?」
『わたしは まな。 きくい まな。』
「へぇ、まなって言うんだ。
それじゃまなちゃん、また会おうね!バイバイ!」
もう会うことはないと思うけど。
でも、私は黙って手を振った。
そして不思議な事に、私はその後すぐに猛烈に眠たくなり、
お母さんが帰ってくるまでずっと眠ってしまっていた。
もしかしたら催眠ガスのようなものを撒かれたのかもしれない。
そして更に不思議な事には、お母さんは異変に全く気づかなかった。
私はお母さんに通帳や判子やそのほか色々な貴重品が無くなっていないか聞いたのだけど、
どれもみんないつもの場所にあったらしい。
私はお母さんに、彼女――みかさのことを話さなかった。
お母さんに隠しごとをするなんて、これが初めてだった。
その夜はなんだか胸が苦しくて、色々な哀しい事を考えてしまって、眠れなかった。
ただ単に昼に寝過ぎたからなのかもしれない。
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