眠れない夜
100作目でした
憂鬱な夏の雲がやってきて、今にも街を汚そうとしていた。
神々しい太陽は忌々しいそれに隠され、生温い闇が家に忍び込んでくる。
いちごは急いで窓を閉めた。
カーテンを閉め、電気をつけた。
人工的な光は侘しく、無機質であったけれども、闇に包まれるより良いことには間違いなかった。
ひとまずの平穏を得た彼女はほっと息をつき、近くのベッドで足を休めた。
その日、街は記録的な豪雨に見舞われた。
激しい雨音と雷鳴が一晩中響いていた。
その恐ろしい轟音のためにいちごはその夜なかなか寝付けなかった。
照明をつけたまま彼女はずっと布団に包まっていたのだった。
〈〈〈〈 眠れない夜 〉〉〉〉
「ああ、明日は遠足だから早く寝なくちゃいけないのに。
こんなんじゃ寝不足で歩くことになっちゃう。
雷さえおさまってくれたらいいのになあ。」
いちごは布団の中で独り言を呟いた。
彼女は人前では寡黙であったが、それ以外のときは人並みに雄弁であった。
「明日は天球公園へ行くんだよね。楽しみだねえ。」
「ちっとも楽しみじゃないよ。
あんな大勢で一緒に歩くなんて、考えただけでも疲れちゃうんだから。
あああ、ひとりで行くんなら楽しみなんだけどなあ。」
「友だちと一緒に話しながら歩けばいいじゃない。
楽しいと思うけどなあ。」
「何が楽しいのか分かんない。
そんな事言うならあなたが話してよ。」
「私が人前では表に出られないこと知ってるくせに。」
そのまま歩きながらふと目を前に向けると、真っ黒だった景色がだんだん紺に近い色になっていた事に気付いた。
天藍石の床はキラキラ輝き、いちごの全身を静かに映していた。
電離層の空に開いた小さな穴からは冷却された光子が霧のように吹き出していた。
「そうか、じゃああなたは私としか喋れないんだ。
逆なら良かったのになあ。
私はあなたとしか喋りたくないのに。」
「え?なんで?」
「あなたと話すのだけは疲れないんだよね、なぜか。
口を動かさなくて済むからかなあ。」
「筆談すればいいじゃない、筆談。」
「口がきけないわけでもないのに筆談なんかしてたらおかしいでしょ。」
「口がきけないようなもんじゃない、話すと疲れるから話せないなんて。
筆談のほうが楽なんだったらそうしたらいいと思うけど。」
「変に思われるのが嫌なの。
話すのが疲れるなんて恥ずかしくて言えるわけないじゃない。」
「恥ずかしいかぁ……」
透き通った藍色の床の中には色とりどりの結晶があちこちに散りばめられ、不思議に光を放っていた。
空を舞っていた霧状の光子はやがて凍りつき、流れ星のように尾を引きながら地上へ落ちてきた。
光子は床に落ちた後も輝きを失わず、しんしんと床の中へ潜っていった。
「ここ、どこだろう。」
いちごはあたりを眺め回して呟いた。
「宇宙の果てだよ。」
「えっ、宇宙の果て?」
「果てというか……えっと、始まりって言ったほうがいいのかな。
ここで宇宙が作られてるんだよ。」
「宇宙が作られてる……?
どうやって?」
「そんなこと知らないよ。」
「じゃあなんでここで宇宙が作られてるって知ってるの?」
「そりゃ私なんだから知ってるに決まってるでしょ。」
いちごのすぐ目の前に光子の結晶が降ってきて、床に落ちた。
彼女は屈みこみ、それを拾い上げた。
「これが宇宙の素なの。
これがいっぱいに膨張して、拡散して、宇宙になるの。」
「そうなの?星のもとみたいに見えるけど。
意外と冷たいんだね。」
「いまは凍ってるからね。でもじきに熱くなるよ。そしたら爆発するんだ。」
彼女は手を開き、それを床へ落とした。
光の塊はゆっくりと地下へ潜っていき、やがて小さくなって見えなくなった。
「私もここで生まれたのかな。」
「そうだよ。一番最初は、みんなここで生まれたんだ。
だから、ここからならどこへでも行けるんだよ。」
「どこへでも……?ほんとに?」
「ほんとだよ。だれだって、いつだって、どこへでも行けるんだ。」
「こんなわたしでも?」
「うん。」
「」
「もちろん。
だれだって、最初はどこにだって行けたんだよ。
それにいつだって、ここに戻ってくればまたどこへでも行けるの。
さあ、そろそろ行こうよ。
まずはどこへ行こう?」
100作目でした
憂鬱な夏の雲がやってきて、今にも街を汚そうとしていた。
神々しい太陽は忌々しいそれに隠され、生温い闇が家に忍び込んでくる。
いちごは急いで窓を閉めた。
カーテンを閉め、電気をつけた。
人工的な光は侘しく、無機質であったけれども、闇に包まれるより良いことには間違いなかった。
ひとまずの平穏を得た彼女はほっと息をつき、近くのベッドで足を休めた。
その日、街は記録的な豪雨に見舞われた。
激しい雨音と雷鳴が一晩中響いていた。
その恐ろしい轟音のためにいちごはその夜なかなか寝付けなかった。
照明をつけたまま彼女はずっと布団に包まっていたのだった。
〈〈〈〈 眠れない夜 〉〉〉〉
「ああ、明日は遠足だから早く寝なくちゃいけないのに。
こんなんじゃ寝不足で歩くことになっちゃう。
雷さえおさまってくれたらいいのになあ。」
いちごは布団の中で独り言を呟いた。
彼女は人前では寡黙であったが、それ以外のときは人並みに雄弁であった。
「明日は天球公園へ行くんだよね。楽しみだねえ。」
「ちっとも楽しみじゃないよ。
あんな大勢で一緒に歩くなんて、考えただけでも疲れちゃうんだから。
あああ、ひとりで行くんなら楽しみなんだけどなあ。」
「友だちと一緒に話しながら歩けばいいじゃない。
楽しいと思うけどなあ。」
「何が楽しいのか分かんない。
そんな事言うならあなたが話してよ。」
「私が人前では表に出られないこと知ってるくせに。」
そのまま歩きながらふと目を前に向けると、真っ黒だった景色がだんだん紺に近い色になっていた事に気付いた。
天藍石の床はキラキラ輝き、いちごの全身を静かに映していた。
電離層の空に開いた小さな穴からは冷却された光子が霧のように吹き出していた。
「そうか、じゃああなたは私としか喋れないんだ。
逆なら良かったのになあ。
私はあなたとしか喋りたくないのに。」
「え?なんで?」
「あなたと話すのだけは疲れないんだよね、なぜか。
口を動かさなくて済むからかなあ。」
「筆談すればいいじゃない、筆談。」
「口がきけないわけでもないのに筆談なんかしてたらおかしいでしょ。」
「口がきけないようなもんじゃない、話すと疲れるから話せないなんて。
筆談のほうが楽なんだったらそうしたらいいと思うけど。」
「変に思われるのが嫌なの。
話すのが疲れるなんて恥ずかしくて言えるわけないじゃない。」
「恥ずかしいかぁ……」
透き通った藍色の床の中には色とりどりの結晶があちこちに散りばめられ、不思議に光を放っていた。
空を舞っていた霧状の光子はやがて凍りつき、流れ星のように尾を引きながら地上へ落ちてきた。
光子は床に落ちた後も輝きを失わず、しんしんと床の中へ潜っていった。
「ここ、どこだろう。」
いちごはあたりを眺め回して呟いた。
「宇宙の果てだよ。」
「えっ、宇宙の果て?」
「果てというか……えっと、始まりって言ったほうがいいのかな。
ここで宇宙が作られてるんだよ。」
「宇宙が作られてる……?
どうやって?」
「そんなこと知らないよ。」
「じゃあなんでここで宇宙が作られてるって知ってるの?」
「そりゃ私なんだから知ってるに決まってるでしょ。」
いちごのすぐ目の前に光子の結晶が降ってきて、床に落ちた。
彼女は屈みこみ、それを拾い上げた。
「これが宇宙の素なの。
これがいっぱいに膨張して、拡散して、宇宙になるの。」
「そうなの?星のもとみたいに見えるけど。
意外と冷たいんだね。」
「いまは凍ってるからね。でもじきに熱くなるよ。そしたら爆発するんだ。」
彼女は手を開き、それを床へ落とした。
光の塊はゆっくりと地下へ潜っていき、やがて小さくなって見えなくなった。
「私もここで生まれたのかな。」
「そうだよ。一番最初は、みんなここで生まれたんだ。
だから、ここからならどこへでも行けるんだよ。」
「どこへでも……?ほんとに?」
「ほんとだよ。だれだって、いつだって、どこへでも行けるんだ。」
「こんなわたしでも?」
「うん。」
「」
「もちろん。
だれだって、最初はどこにだって行けたんだよ。
それにいつだって、ここに戻ってくればまたどこへでも行けるの。
さあ、そろそろ行こうよ。
まずはどこへ行こう?」
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